消え行くフランス料理


espresso w640スコンロに火をつけ,小さな鍋でお湯をわかし,朝起きてまだ眠たそうに目をこすりながら,フィルターでコーヒーをいれる。
昔の映画など多くは忘れてしまっているのに,アランドロンが鍋の湯でコーヒーをいれるシーンは覚えている。
どういうことだろう。

イヴモンタンが台所に入って来て,趣味の悪い模様のビニール製のテーブルクロスがかかったテーブルから,バゲットをちぎり,サラミか生ハムを載せて,立ったまま食べる。

70年代に初めてフランスで生活を始めて,それが現実になったことがうれしかったのだろう。今はそう思っている。
父には西洋かぶれと言われたけれども,フランスの庶民の生活を目の当たりにして,あらゆることが,彼らのように一緒にできる毎日の喜びは大きかった。
レストランなどに行けるような経済的な余裕はなかったので,外食は,たまに行ったセルフサービスの食堂や学食を除いては何もしらない。

それでも,2度目のパリ生活のときは,市が立つルピック通り(モンマルトル)に住んでいたので庶民の食生活は十分に想像ができ,残念ながらフランス人の生の生活は体験できなかったけれども,それなりに共に生活を送った。

その後,たまに友人たちと外食するためにレストラン街を歩いて,入り口のガラス戸にかけられたメニューと値段を見ながら,長い間行ったり来たり。
メニューといえば100%コースメニューだから,1皿1品のみの注文は許されない。飲み物の注文も義務。本当かどうか定かではないけれども,拒否はされなくても,サービスゼロでバツの悪いときを過ごしたに違いない。

筆者はギネスブックにも掲載された,パリの世界一安いフランスレストランに行ったこともある。
強烈に質素だったけれども,仰々しく前菜で始まり,デザートとコーヒーで終わるフルコースメニューだった。因みに当時(80年頃)3フラン。

そして徐々に分かったことは,多くの,ほとんどのと言ってもいいぐらい多くのフランス人が食するメニューは,前菜はサラダ菜でメインはステーキ・フリッツだということ。
移民や労働者の多い地区でも,シャンゼリーゼやサンジェルマンなど高給取りのサラリーマンなど裕福な人が多い地区のビストロなどでもステーキ・フリッツばっかりの印象だったし,後に地方に旅行しても変わりはなかった。

ドイツに来て,大きなお皿に1食分がどーんと盛られているのを見たときの安堵感は忘れられない。何が何でも,セレモニーのごとく,順番に出して,出されて,順序通り食するフランス流のなかで「どうして別の選択肢がないの」と思い始めていた時期でもあった。

espresso w640フランスの若い世代はそれに気づき始めたのだろう。
詳しいことは知らないけれども,日常の食に対する自由度は世代の交代で飛躍的に向上したことは間違いない。

フランスには食文化に関心を持つ人々は,専門家でなくてもとても多い印象なので,未来に向けたフランス料理の話題も多いようだ。

ただ,ノスタルジーといわれようと,古いといわれようと,鍋の湯でコーヒーをいれ(本当はエスプレッソポットを使用),バゲットを手でちぎりながら,簡素なサラダ菜と安いバヴェット肉,そして,地方の料理屋で出て来たようなラベル無しの一升瓶の赤ワイン,僕にとっての極上の食事が変わることはない。

mailing logo 1

ゲスト 308人 と メンバー0人 がオンラインです

Euro-Japan.net はクッキーを使用しています

ただ,サイトの表示や機能および速度や動作を向上させる最低限のクッキーのみで,ユーザーの動向情報を把握するトラッキングクッキー(グーグルアナリティクスなど)は使用しておりません。
従って本サイトの閲覧においては違いはありませんが,EU一般データ保護規則によってクッキー使用の注意書きが定められているため表示しております。許諾または拒否を選択できますが,拒否された場合,速度が落ちたり,一部の機能の使用や閲覧ができない可能性もわずかながらあります。
拒否によって安全上の問題が閲覧者に及ぼされることは全くありません。