アルデンテは本当に噛み心地?
美味しさを感じるのは個人の好みの差や味覚の敏感さによることに異論を唱える人は少ないでしょう。
私のようなグルメとはほど遠い人間でも,人並みに美味しい・不味いの批評を絶えず行っています。そして,食堂の経営者はもちろん,食事を他人に提供するひとはそのような味覚音痴の人たちも相手にしなければなりません。
大変だと思います。
ただ,美味しさを感じる,判断する要素に粘度があるということを忘れている日本人が多い気がします。
幼少期に味覚の能力が決まるという専門家の意見は正しいかもしれません。
しかし,世代を超え,民族に染み付いた味覚もあるのではないでしょうか?
ポテサラと呼ぶらしい,同じ日本のポテトサラダが出てきたとき,日本人は「うん,旨い」とうなずき,ドイツ人は「まぁね,でも物足りない」と感想を述べたことがありました。
そのドイツ人は大の和食好き。にもかかわらず,なのです。
しっかりとした歯ざわりがないポテトサラダはポテトサラダじゃない,と付け加えました。
ドイツではクリスマスイブの定番として欠かせないほどの国民的な料理,カートーフェルザラートなので,ほとんどのドイツ人が独自の見解を持っています。
以来,多くのドイツ人が同じように,「しっかりとした歯ざわりがないポテトサラダはポテトサラダとは呼べない」と思っていることに気が付きました。
じゃがいもに関して言えば,マッシュポテトなどもあるので,すべての料理に歯応えが必要なわけではないでしょうが,しっかり噛める食が旨味と結びついていることは間違いありません。
「世代を超え,民族に染み付いた味覚」という意味は,米に限らず,魚も柔らかい。あらゆる食材が柔らかい。しかし,柔らかいからこそ,柔らかさの最も美味なポイントを突き詰める味覚能力に優れた日本人の美食家が多いのも事実です。
ただ,そのような最適ポイントの美味は一般の欧米人には通じにくく,伝えにくく,分かりにくい,のです。
肉,それも鶏肉のような柔らかい食肉ではなく,噛み千切り,口の中で噛み砕かないと食べられない動物の肉を昔から食してきた民族に特徴的な味覚はないのか,専門家の意見を仰ぎたいところです。
パスタのアルデンテは,うどんなどのコシに通ずる部分があるので日本人もよく分かるのですが,固いステーキなどはどうなのでしょうか?
和牛だったかどうか記憶にありませんが,日本で「とろけるように柔らかいビーフステーキ」を食したドイツ人の感想は,「あまりに小さくて物足りなかった。でもどうしてこんなに高いの」。あとで付け足すように「おいしかったけど」。
パリのサンジェルマン通りの近くにあった,狭い階段を上がった超狭いカウンターだけのグリル牛肉専門屋。1キロもありそうなコートドゥブフを目の前のチャコールで焼かれるやいなやドーンと木版に置かれ,頭の上の網にたくさん置かれているバゲットをちぎりながら,赤ワインと共にむさぼる客の横では,ぼくらの小さなバヴェットがなんとなくみすぼらしく見えた。
アメリカではとろけるように柔らかいWAGYUが超高価な値段でも人気らしい。しかし,マンハッタンのタイムズスクウェアにあった1ドルTボーンステーキの常連客などがWAGYUをどう評価するか,本当は知りたいところ。
アジアと欧米では,味覚のような感性に限らず,体格の違いのように,顎や歯も異なるところが多いかもしれない。
そのように,幼少期に親元で食べた食事の影響を超えた,数世代の血から来る「美味しさを感じる感覚」も少なくないのではないか,と考えたりするのです。